沼・太田プロジェクト2020

大学生グループが「探検」を楽しめる旅コンテンツ「旅すごろく~n通りの旅~」を作成に取り組んでいます

プロジェクト全体を振り返って(いしまる)

みなさん、こんにちはorこんばんは~

 

2021年も始まってもう31日も経ってしまいました、早いですね。

 

前回2020年最後の記事で、少しだけ振り返りをしましたが、改めてこの1年間の振り返りを書いていこうと思います。
 
 
この記事は自分が書く、最後になります(素振りじゃないよ)
 
 
#46では代表としての思いを書いたので、今回は何を書こうか前回に引き続き悩んでいました。
 
 
色々考えた末、この1年間のことをよく覚えている今のうちに全部出しておこうと思い、この1年間を区切ってまとめていきたいと思います。
 

2019.10~2020.2

10月~11月

よしのさんとの出会い
この時期は別のグループワークとプロジェクトの起案を同時並行で進めていたので、今考えても大変な時期でした。
 
 
考えては先生のところに見せに行き、アドバイスをもらって修正というのをひたすら繰り返していました。本当に頑張っていたと自分では評価してます。
 
 
そのような中で、今の副代表と一緒に起案をする話になりました。これが10月の話ですね。偶然誘われたから承諾しましたが、もしかしたら別のプロジェクトにいたかもしれないと思うと、感慨深いものがありますね笑
 
 
いざわさんとの出会い
副代表の次に入ってくれたのがいざわさんでした。
この時は起案するのに最低3人必要なのでとても焦っていた時期でした。
 
 
今でも覚えていますが11月のことでした。なぜここまで覚えているかと言うと、
会議の効率が急激に上昇したからです。
 
 
見違えるほど変わったのが議事録で、内容がモリモリになって後から見返してもその時何をしていたかがわかるようになったのはこの時期からです(それ以前のものは、解読不能な古文書です)
 
 
 
そめやくん・かとうくんとの出会い

いざわさんの少し後に入ってきてくれました。11月の中旬くらいだったかな。

この時には大体の方向性は決まっていたと思います。

 

そめやくんで言えば、電車内でアタックしてその後にDMが飛んできたときは「よしよし」と一安心していたことを書きながら思い出しました。

 

プロジェクトのテーマを決めた経緯
 
ここでまだ明かしたことのない、テーマについての話を1つしようと思います。
 
 
結論を先にいうと、最初から旅に関することをやろうとは考えていませんでした。
 
 
最初期の起案段階では旅とは全く関係ないことをやろうと考えていたのですが、考えた案に対する先生からの酷評や友人からの新しいアイデア提供もあり、見事お蔵入りとなりました。
 
 
ここで出た新しいアイデアというのが「旅」でした。「旅」と聞いて、私自身が好きなことの1つだったこともあり、聞いた瞬間に「これだ!!」となったのは今でもよく覚えています。ある秋の日の、大学から帰宅する時のことでしたね、懐かしい......
 
 
旅について取り組むことになりました。「旅」というキーワードを提供してくれた友人には今でも感謝しています。
 

12月

今でも覚えているのがテーマ発表会のことです。
 
 
大教室の教壇に立って、プロジェクトの内容説明するのはとても緊張しました。
 
 
緊張を解すという名目で、自分だけが話すにも関わらず、残りの起案メンバーを自分の後ろに立たせたのは今でも覚えています(笑)。あのお陰できちんと話せました。
 

2月

公募メンバーも交えての初めての顔合わせを行ったのがこの時でした。初旬くらいだったかな?
 
 
この時正式に代表に任命されました。
 
 
決定理由は「最初に起案内容を考えた人物だから」でしたね。
 

2020.3~2020.7

3月 

この時期は調査旅行に行きましたね。
新型コロナウイルスの影響で当初予定していたものを減らしての開催でした。
 
 
自分は東京メトロと終点までの旅、鎌倉の3つに参加しましたが、どれも楽しかったですね!
 
 
鎌倉に行ったと言いましたが、最初は横須賀(猿島)に行く予定だったんですよ。。。 
 
 
え?なんでそうなったかって?
 
 
当日は風が強く、島行きの船が出港できなかったからです。
この時すでに、「私たち、迷える旅をしているね」と話していました(笑)
 
 
そんな急な行き先変更に始まり、全員で行った、最初で最後の旅行でした。
 

4月~6月

事前会議を始めたこと
4月から始めたことと言えば、事前会議です。
 
 
会議を効率よく進めるため、話す内容のアジェンダを事前に決めておくという名目で起案者を集めて始まりました。
 
 
沼・太田プロは水曜と金曜に活動をしていたので、毎週木曜と日曜に活動をしていました。これを2021年の1月までほぼ休みなく毎週続けていました。
 
 
活動日を含めると週4日話し合っていると考えるとブラック企業社畜と大差ないですね(ホワイトにやっていきましょうと言っていたはずなのに......)
 
 
そんなわけで、事前会議の存在はプロジェクトを語る上で、切手も切り離せないものです。
 
イデアを決めるまでの苦労
この時期はKJ法を行い、アイデアを決めていました。
 
 
ここにはかなり時間をかけており、中々1つまとまらずこのままで中間発表会を迎えられるのかと思ったことは何回もありました。
 
 
そんなことを考えながら、事前会議では「どうしたら意見を出してもらえるか?」「どのようにしてアイデアを1つにまとめるか」など考えないといけない問題がたくさんありました。
 
 
その一環として「顔出しをしたらどうか?」という話にあり、1度だけ顔出しで会議をしたこともありましたね。続々と落ちていってその後開かれることはありませんでした。
 
 
今となって考えてみると、プロジェクトのカラーが決まった時期なのかなと思います。
 

7月

イデアを旅すごろくに決めてからは、企画班・デザイン班・技術班に分かれて作業をはじめました。
 
 
私は始めデザイン班に行きたいな~と薄っすら考えていたのですが、みんなが先に好きなの決めていき、最後には「代表は全体が見える企画班にいたほうが」という一言から企画班になりました。
 
 
初めは「イラレくん触りてぇ~」と思っていた時期もありましたが、考えること・やることが多く、気がついたらそんな思考はどっかに飛んでいきました(笑)
 
 
 

2020.8~2020.9

8月

直前の準備が大変でした、もう本当に。
いつまで経ってもスライドが完成しないんだもん!!
 
それに作るだけでなく、原稿作成や発表練習もしなきゃで死にそうになってました。
そんな私と事前会議のメンバーが夜中にちまちまと作業してましたね。
 
なので徹夜でした、はい。おかげで今見ても完成度は高いと思ってます。
 
 
そして中間発表当日ですが......
あれだけ準備したのに、あらゆるところでツッコまれてんやわんやです
 
それが仕事だからしょうがないと思いますが、あれがなかったら良いプロダクトになっていなかったと思います。
 

9月

そして、夏休みはほとんど休むことなくひたすらプロトタイプの制作を行ってました。

 

この方針を決めたときの事前会議は今でも覚えています、過去にないくらい激論を飛ばしていましたからね(笑)

 

副代表が「とりあえず、作っては改良してまた作ればいい」という提案をしました。

 

この時は私といざわさんでスケジュール的に難しいと思うと難色を示していました。しかし、当初提案されたスケジュールを調整し、最終的に行うことが決定しました。

 

今思うと、プロトタイプの制作回数を増やしたことが成果物クオリティアップに直接反映されたと思っています。

 

代表だからといい、何でも自分で決めていいわけではなく、周りには自分にはない考えをもっている人もいて、それが結果的に良い方向性を生み出すこともあると痛感させられる出来事でした。

 

2020.10~2020.12

10月に入り、いよいよ本制作をスタートさせました。
 
企画班としての本制作
企画班としての1番の大きなことは統一の仕様書を作成したことだと思ってます。
 
 
それ以前からも仕様書は作成していましたが、内容は視認しづらく、情報の共有という面でもよい状態ではありませんでした。
 
 
そこで、Google先生に「ゲーム 仕様書 作り方」で検索し、ヒットものを参考にし、スプレッドシートで作成しました。
 
 
導入した当初は「みんな使ってくれるかな?」と不安でしたが、段々と活用していき、企画版の情報を他班にも共有できるようになったのは大きかったと思います。
 
 
代表として本制作
代表としては心がけていたことは、自分のことだけでなく全体を見るということです。
 
  • 適切な割り振ったものが適切なタスク量になっているか
  • 作業の遅れはないか、ある場合はどのように対処するか
  • 割り振られた仕事に対して高いモチベーションを持っているか
 
全部はここに書ききれませんが、このような観点でプロジェクトを俯瞰して見ていました。
 
 
正直に言うと、とても大変です。神経をすり減らします。自分の作業が後回しになります。自分の仕事が後回しになって、〆切2時間前から始めることもザラでした。
 
もう少し自分の作業時間を確保すればよかったというのが反省です。
 
 
最終発表のこと1
そして最終発表を迎えます。
中間の反省から「早めに取りかかれることは始めよう」と決めました。
 
 
しかし現実はそう甘くなかったです...
中間に引き続き徹夜コースです、はい。また深夜に作業をしてました。
 
 
過去から学ばない悪い例ですね。良い子は真似をしちゃだめだよ!(見てないだろ)
 
 
最終発表のこと2
最終では中間では行わなかった、実演を行いました。
私はその中で実況を担当し、中継を挟んでは話を振る役をやってました。
 
 
この企画をしたのは私ですが、当初みんな乗り気じゃないなと思ってました。
それを目の当たりにしてめちゃくちゃ焦りました、同時にやると押し切ったからには成功させないといけないと思いました。
 
 
そこで、事前に現地調査を行い(1人で)歩くルートと当日取り上げるお題の決定をしました。
 
 
 結果的に準備をしっかり行ったことから成功したので、やってよかったと思っています。
 

2021.1

最終発表も終わり、一息ついたところで待っていました。

 

最終成果報告書と動画の作成です。1月はずっとこれをやってました。 

 

12月までと比べると、張り詰めずに作業できていました。

 

この記事を書いている時もまだ、最終成果報告書のチェックを待っている段階で提出できていないのです。本になった時が楽しみですね!

 

報告書を書いていて「1年間で色々なことをしたな~」の感慨にふけって筆が進まないことが多発してました。

 

最後に

この1年間のプロジェクトを成功させられたのは、多くの人助けがあってのことです。

まずはお礼を言いたいです。ありがとうございました。

 

起案者のみんなは、早い時期から関わっていることから、多方面でお世話になったことが数え切れないほどあります。本当におつかれ様でした!

 

公募のみんなは、たくさんあるプロジェクトの中から「沼・太田プロ」を選んでくれたことを嬉しく思います。ありがとう!

 

そして、沼先生には自分たちで考えた起案内容を「面白そう」と思ってもらい、担当してもらえたことをとても感謝しています。ありがとうございます!

 

 

代表としてできたことは少なかったのではないかと思っています。

普段からできていたことなんて、水曜と金曜と活動終わりに、各班の進捗を確認したりとかそんなくらいです、本当に。

なので、至らなかった部分も多いのが正直なところです。

 

ですが、こんな自分と一緒に最後まで付いてきてくれた8人には感謝しきれないです。

 

 

ここまでとてもクサいことばかり書いてますが、最後なので「もう思ってること全部出して、全部まとめちゃえばいいや」という脳筋マインドのもと書いていました。

これは9月のプロトタイプ試遊の時に副代表が教えてくれたことです。

自分にはないマインドなので、これからも困ったときには思い出したいです。

 

 

これで最後になりますが、かなり長かったと思います。(なにせ5000字近いからね)

最後まで読んでいただきありがとうございます。

またどこかで会いましょう......それでは

 

 

いしまる